19:00 本郷
正直に話したくないことが本当はたくさんある。
要するに、とまとめられたらひとたまりもない。
関係性に名前をつけること。所属や成果や性質で描写すること。
「友達」とか、「浮気」とか、「結婚」とか。
その人は高校同期で今はベンチャー会社を立ち上げてるひとでね、とか。
一見隠キャでとっつきにくいけど、優しいひとなの、とか。
誰それの元カノで、今は結婚して3児の母らしい、とか。
私たちは「いわゆる」から逃げることがとても難しい。
「結局はお金なんだよな」「本当は自由に生きれればいいんだけど」
「あーあるあるだよね、そういうひと」
みんなの言葉に、たまにうんざりしてしまう。
その言葉を発している本人も、うんざりしているように見える。
だけど、類型化すること、知っている言葉で描写することに我々は慣れすぎているのだろう。
少しずつ、新鮮だったものも色を失って、
一方でシンプルなものに還元されていくような感覚すらある。
とはいえ、最近は伝えることにセンシティブになりすぎるゆえに、
ひとりよがりの会話しかできてないのかもしれない。
聞くことがきっとうまくできていないから、思うように伝えられないのだろうなぁと思う。
これもまた聞いたことあるような話で、嫌になっちゃうけれど。